あちらこちらで ~勝手に2本立て鑑賞日記~

映画館で、テレビで、美術館で……ところかまわずその週見たものたちをひとつの感想にこじつける

『TAR』と竹内朱莉、2人の「指揮者」の”壊れる”ところ

 

2023年6月19日から6月25日までに見たもの

 


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 音楽家としての華麗な経歴を紹介され、大勢の観客の前に堂々と出ていくリディア・ター。しかしその向かった先のステージで行われたのは、オーケストラによる演奏ではなく、専門的なトークイベントだった。そこから先も、”オーケストラの指揮者の映画”ときいて想像するような身体ごと震わせるような迫力ある演奏シーンはなかなかやってこない。暗い部屋の中、何かから隠れるように孤独に音楽と向き合ったり、同業者と感情を抑えたインテリジェントな会話をしたり、演奏シーンこそないが、統制された静かなリズムをもって淡々と進んでいく。

 この映画で映し出される空間は、一人の時間はもちろん、誰かといる場合でもターによって「指揮」されているように感じられてくる。それは表層的なレヴェルでいえば、窓の外の曇り空による画面の抜けの悪さとセレブリティがゆえの環境音の少ないロケーションによって演出されていて、そこに加えて観客たちが、音楽賞を総ナメした名声と世界最高峰のフィルハーモニーの首席指揮者の地位といった記号的な支配力を彼女に与えたうえでスクリーンに向き合うことで完成される。

 音楽のない場所でも彼女の”指揮”のもとに置かれる弟子やパートナー、生徒たちそして観客たちは150分の映画のなかで、その閉塞的な関係にたいして不快感を覚えるようになり、表面化しない不満がサスペンスを積み重ねていく。演出と主演による繊細な共同作業によってつくられてきた苦しい世界は終盤、そのカメラでとらえられていたのとは別の角度からターを捉えた映像が導入されることによって崩壊していく。そこに映っていたのが”悪意ある切り取り”と思ってしまう時点で映画の観客はまだターの振る指揮棒のリズムにとらわれている。権力を利用して教え子を自殺までに追い詰めたことやオーケストラに入ってきた新人を贔屓すること、本当に彼女は不当な支配をしていたのか客観的な判断が下せずにいるまま、”リディア・ター”に背負わされたさまざまな重しによって、いとも簡単に崖を転がり落ちていってしまう。

 裏返ってしまったように自らに牙をむく欧米の空気から離れて赴いたアジアの端っこでも彼女は、また同じように人も空気も手に取ったようにタクト1本で思いのままにできるようになっていくのだろう。そこまで信頼をおいてしまう心理的な支配から、私は結局出ていくことはできない。


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 竹内朱莉アンジュルムを4年の間リーダーとしてまとめ上げてきた。後輩から「竹内さん」と一応は呼ばれるけれども、「タケちゃん!」とみんなから呼ばれていても違和感ないような柔らかさとファンキーさが特徴だ。最大10歳も離れたメンバーたちを束ねてきた秘訣について、他のグループの年長者に聞かれたときに答えた「とにかく遊ぶ」というポリシーが象徴的である。一人のパフォーマーとして、タレントとして、女性としてまた人間として、自分の背中を追ってくるように上からあれこれ指図するだけのいわれも持ちうる助言も枚挙にいとまがないだろうが、彼女はそういったリーダーシップのかたちをとらなかった。グループの一員として同じ目線で、肩を組んで苦しいことに立ち向かう。それがきっと彼女にとっても居心地のいい状態で、ともに歩む後輩メンバーたちも「家族のよう」と評するように垣根のない集団がつくられてきた。

 そんな彼女が決して権力と責任を放棄してただ遊んでいるわけがないのも誰の目にも明らかである。彼女は徹底して「笑顔を絶やすな」と命令する。これは竹内リーダーだけがしてきたことではないのだが、アンジュルムはライブ開演直前に円陣を組む際、歴代リーダー(歴代といっても竹内と先代の和田彩花の二人のみだが)が「Keep your?」と呼びかけた後、全員で「Smile!!」と大きく声に出す掛け声を出している。それはスマイレージ(Smilage)としてデビューした歴史を背負ったアンジュルムの合言葉のようなものである。ただ「Keep your smile」とリーダーが一方的に提示するのではなく、メンバー全員で同じ言葉を紡ぐのが彼女たちらしいが、その発端となって命令形の部分を言うのはリーダーだけで、逆にそれだけがアンジュルムのリーダーの仕事と言えるかもしれない。彼女が自身の卒業を、公に発表する前にメンバーに伝えたとき、そのショックに多くのメンバーが泣き崩れるのをみて、台に乗ってジャンボリーミッキーを踊って元気づけようとしたところ、台から落ちて爆笑が起こったという。笑わせたくて行動を起こしたけれど、アクシデントも交えることで笑わせる側と笑う側の垣根を取っ払うところに、どこまでも抜かりない”アンジュルムのリーダー”力が表れている。

 彼女の卒業ライブを見に集まった観客たちにその「Keep your Smile!!」は聞こえておらず、そんな心得を共有していなかったけれども、自然と笑顔にさせられた。卒業記念に出版された写真集や、これまでの活動を振り返るインタビューに目を通していたファンは、その喪失の大きさに向き合わされむしろ泣く準備万全で来ていたはずだ。しかし選曲とパフォーマンスを通じて「Keep your Smile!」と私たちを楽しませてくれる。中期のハードロック調の曲から幕を開けて一気に会場のボルテージを上げ、現メンバーを中心に磨き上げてきた最近の曲で”最強アンジュルム”を見せつける。初期のスマイレージ曲は、卒業ライブで聴くと過ぎ去った季節の青さが感傷を誘うけれども、会場を満たす多幸感で結局頬が緩む。

 どうやらこれは泣かせてくれないぞとあちらの意気込みを理解し始めたころ、思ったより早く訪れた卒業パート。竹内の卒業曲「同窓生」とアンジュルム定番の送り出しソング「交差点」で、メンバーそれぞれと目を合わせてそれぞれのソロパートを聞く彼女の目に涙が浮かんだとき、なんだか嬉しかった。その涙はアイドルの肩書を捨てて一人歩んでいく不安の表れでも、辛かった日々から解放されることにたいする安堵でもありえず、その空間に漂う大きな愛のすべてが彼女の心を温めて融けだしたものに違いなかったからである。「Keep your Smile!」とはっぱをかけ自ら率先してそれを実行してきた彼女の長いアイドル人生を祝福し、けっして軽くはなかっただろう荷を下ろして身軽に次の場所ではばたくための羽根が広がったのを、私たちはみていた。

 それでコンサートを閉じないのも明らかに意図あってのことだ。仕切り直しと言わんばかりにまた横浜アリーナアンジュルムを楽しむ場所にもどった。アンコールを挟んでソロ曲を披露しサクッと挨拶をすませたら、最後までタケちゃんとしてアンジュルムを底から支え、自身が一番心の底から楽しみ、走り去っていった。後ろから背中を押してくれるリーダーの背中はあまり見たことがなかったからだろうか、最後の最後にステージの奥に向かって走り去っていく彼女の背中を見るのははいくらなんでも寂しすぎた。

 最後の最後まで竹内リーダーに指揮されるままに、アンジュルムがいる空間で心を動かされてきた。そしてその見えない力がこれまでもあったことを知り、その喪失の大きさにいっそうぽっかり穴が開いた気分になる。だが、最年長でも最長在籍者でもない上國料萌衣がバトンを受けた時点で、その精神を受け継いでいないわけはなく、何よりこれまでの彼女を見ていれば、SmileがKeepされるのは明らかだ。そうして結局次の日からも私たちは不安なく笑顔で過ごすことになる。

 

 貶められたターが惨めで、前向きなスタートを切れたタケちゃんが優れているという話ではない。どちらも周りの世界の指揮者として、重責を負いながら戦ってきた偉大さがある。タケちゃんだって最後は「敗れて」涙して終わった。彼女たちがこわれたところをみたカタルシスの大きさがそれを物語っている。