あちらこちらで ~勝手に2本立て鑑賞日記~

映画館で、テレビで、美術館で……ところかまわずその週見たものたちをひとつの感想にこじつける

WEEZERの「弱さ」が日本人に問う 『君たちはどう生きるか』

 

2023年7月31日から8月6日までに見たもの

 

8月はじめ、照りつける陽射しとともに私たちは、およそ80年前に日本に落ちてきたもっと近くて暑い「太陽」のことを思う。訪れた平和の大切さをかみしめるとともに、私たちは敗けた国に住んでいるのだと、たびたび思い知らされる。

 


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君たちはどう生きるか』の冒頭も、この季節にテレビの画面でよく見る火の海から始まる。眞人は、母を救いだすために火に立ち向かっていくけれども結局救い出すことはできず。「負けて」「逃げて」疎開先へやってくる。

 

新しい屋敷に立つ塔を守るアオサギの言うことには「母はまだ生きている」。そして継母の夏子も体調を崩し森の奥へ消えてしまう。死んでいるけれども生きているみたいな産んでくれた母と生きているけれども死んでしまったみたいな新しい母、どちらに会いにいくのかはっきりはしないけれども、眞人は塔を目指す。

 

塔の下に広がる「世界」では、塔のなかに迷い込んだはずのキリコ(屋敷で世話をしてくれたおばあちゃんのひとり)や産みの母の若返った姿と出会う。いろんな時間の色んな場所と扉1つで行き来できるようになっている。この映画で描かれる”マルチヴァース”は、分岐ではなくそのままの意味の多世界として横並びに存在する。そしてその世界を束ねる中心として、「下の世界」の奥にある大叔父が積み木を積んでいる。眞人はその”支配者”を継承することを拒み、”友達”と生きていくことを宣言する。そして「下の世界」は崩壊する。眞人もアオサギも、昔の母も昔のキリコも扉の向こうにある元の世界に戻っていく。中心を失ってもそれぞれの世界は残っている。行き来できなくなって離れていても、それぞれの世界が平等に存在していることを確かめながら生きていけるのなら、むしろ本当に「つながっていられる」のではないだろうか。

 

若い姿として「生きかえって」眞人の目の前に現れて別の世界で生きている産みの母と、これから育ての親となっていく夏子と、どちらも”お母さん”として眞人は向き合っていくことにする。2つのことを1つにする必要はない。ここは、生きていることも死んでいることも重なり合った世界で別の場所では私さえもう一人生きているかもしれない曖昧で混沌とした世界なのだから。

 

選ぶこと、支配すること、すなわちひとつにすることを手放すことは、大日本帝国を内からも外からも崩壊させた帝国主義と大きく距離を置く。敗戦国・ニッポンに根づいた「戦わない」遺伝子をこの映画も受け継いでいる。眞人は何とも戦わず、(2人の)母を助けるために飛び込んだ世界で、これから生まれてくる命も亡くなってしまった命も隣にある世界の広さを知り、結果喪失を乗り越えた。

 

誰のものでもなくなった世界で弱さを認め連帯していくことを、戦争があってもなくてもそこにあった原風景のなかで描いたこの映画に、日本の美を感じずにはいられなかった。

 

 

 

3年ぶりに来日したアメリカのパワーポップバンド・Weezerもそんな国を愛し、さまざまなオマージュを捧げてきた。そしてワールドツアーの一環で日本を訪れることを知り、Zepp Divercityワンマンライブに赴いた。中学生のとき好きになり、数年おきにマイブームがやってくるくらいで心のよりどころとまではしていないのだが、来日単独公演のプレスリリースに中学生の自分が飛びつき、ダメ元で最速先行に申し込んだらチケットを手に入れることができた。思えば海外アーティストの演奏を生で聴くのは初めてだったけども、ヴォーカルのリヴァース・クオモはMCで日本語を話してくれて、演奏される曲も肌になじむものばかりだから、肩を張らずに楽しめた。知っている曲だからではなく、Weezerの歌がもつ”弱々しさ”がそうさせてくれている。

 

基本的に彼らは、成し遂げられなかったことを歌う。好きなコがこっちを向いてくれない気持ちを、「チクショー!」(”dumb” / Pink triangle, ”Goddamn" / El Scorcho)と悔しがったり、うまくいかない人生に沈んだ気分に溺れては("I don't know what's wrong with me" / All My Favorite Songs)、そこから抜け出そうとしたり(”I wanna go back, yeah!” / The Good Life)。望んだ未来が訪れなかったとき、なりたい自分になれていないとき、誰かをうらやんだり打ち負かそうとしたりはせず、少しでも力が湧くようギターをかき鳴らす。Weezer流のパワー・ポップを聞くとそういう「力ずくの明るさ」をもらえる。

 

葛飾北斎風の絵をジャケットに採用し日本で局地的にヒットしたアルバム「Pinkerton」のなかから何曲も披露された。先述の「Pink triangle」、「El Scorcho」、「The Good Life」の弱さに、ニッポン人に流れる”負けた”血が騒ぐ。冒頭から温度が上がったZeppの空気を一気に涼やかにしたのが、「Across the Sea」の弾き語りだった。リヴァースが苦しんでいるときに、日本から届いたファンレターを書いてくれたひとへの思いを綴った曲であることが演奏の前にリヴァースから日本語で説明された。遠い海の向こうにいても、手紙を受け取る彼と歌を聴くファンが交わらずにつながっていく(”I've got your letter, you've got my song”)その関係の脆さと儚さは、眞人とヒミたちのそれを思い起させる。

 

彼らの歌がつなぐのは、Weezerとファンの縦の関係だけではなく、”Say It Ain't So”や”I don't care about that”(Buddy Holly)と高らかに声をそろえる観客たちの横の関係でもある。ポップなサウンドに乗せられた私たちは、わらわらのように舞い上がっていき、明日からの新しい命に生まれ変わっていく。


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宮崎駿Weezerが魅了され描いた日本が私も大好きだと、そんな原風景など何処にもない埋め立て地のうえ・お台場の街で思う。正直言って、若返った母親とのロマンスめいた冒険を”自伝的映画”にしてしまうことも、ファンからもらった手紙をよれよれになるまで舐める(「Across the Sea / Weezer)のも、「ダサくて」「気持ち悪い」と思わずにはいられない。だけどそういう弱さを認めることも「日本らしさ」のうちだ。決して他と比べて強くあろうとせず、アニメーションと音楽の力でつながるわたしたち”日本人”に、また来年もこうやって暑さを嘆いていられる余裕のある平和な夏が訪れてほしいと切実に思う。