あちらこちらで ~勝手に2本立て鑑賞日記~

映画館で、テレビで、美術館で……ところかまわずその週見たものたちをひとつの感想にこじつける

『NewJeans Day On Air』の後に『FNS27時間テレビ』があった土曜と日曜

 

2023年7月17日から7月23日のあいだに見たもの

 

7月22日土曜日が始まった時、つまり金曜日の夜、暑さのせいかなかなか寝つけずにいた私は、日付変わって今日がNewJeansのデビュー日で、長時間配信をYouTube上でやっていることを思い出した。配信を開いてみると舞台裏の映像が流されていた。本人たちが話している韓国語がわからないので、いつも自分が見ている日本語字幕つきの切り抜き動画をつくっている人への感謝を今一度思い出すにとどまる。次見たときはスケジュールに入っている”Performance”にちょうど間に合うといいなと期待しながら、別のアイドルのラジオを聞いているうちにいつの間にか眠りに落ちた。

 

起きたらもう昼頃で、休憩時間に入っていた。生放送でもないのに何が休憩だと思わないでもないが、ずっと画面の前に釘づけでいようろしているファンのことを気遣ってのことなのだろう。

 

用事があってほとんど『~On Air』を見られずにいるなか、その休憩中に少しつけてみると、こちらを向いて一人で話しているミンジの映像が流れていて目を惹いた。相変わらず何を言ってるかわからないが、韓国っぽいタイポグラフィーがまったくないどうやら撮って出しの映像で、サプライズでファンに寄せられたメッセージなのだろうと推測できる。コメント欄もいろんな言語で盛り上がっていて、私と同じように興奮している人がたくさんいるのがわかってよかった。私も彼らも「このときこのために存在するNewJeans」をきっと見たかったのだ。それまでの映像に目をとめる気が起きなかったのは、新録ではあれいつ見てもいいようなものだったからだ。だから見る気が起きなかったのは、きっと言葉がわかっていても同じことだったと思う。そのときはじめて巻き戻しが可能だったことに気がついて、例の”Performance”にカーソルを合わせて「Hype Boy」の新録パフォーマンス・ビデオを見た。脱力感あるリズムとキレのあるサウンドに乗った軽やかなダンスと瑞々しい歌声は相変わらず魅力的なのだが、どこか物足りないのは、リアルタイム配信にもかかわらず”ライブ感”を欠いているからだろう。視覚中心主義で成り立つK-POPのアーティストが日本の音楽番組に出たときに、美しくて完成度が高い収録済みのものをよこしてくるけれども、”テレビ”がもたらす別の「触覚」のことも、理解してくれないだろうか。

 

結局しっかり見たのはミンジのコメントのシーンだけだった。あとからカーソルを左右させてざっとどんなことをやっているか確かめてみたけれど、そこが一番の見どころだった気がするので、ほとんど見ていない『NewJeans Day On Air』を私は「堪能した」と思う。

 

 

18時ごろまで流れていたNewJeansの配信が終わり、楽しみにしていた『FNS27時間テレビ』が18:30から始まった。仕事中だったけれども少し時間があったので、オープニングの温度だけでも味わいたくて初めの5分くらいはリアルタイム配信を開いてしまった。格闘技の試合が始まるかのような盛り上がりの中、今ここではない場所にテレビスターたちが現れる。そんな時間を共有するテレビのワクワクが詰まっていた。

 

絶対何かが起こると思っていたほいけんたのサビだけカラオケレンチャンは休憩中に追っかけ再生して声を漏らさず笑って喉が疲れたけれども、他は移動などもあり(通信量に余裕がなくてリアルタイム配信もあきらめた)ほとんど追えなかった。久々に戻った実家の、家族が寝静まったリビングで点けたテレビでは、明石家さんまが話して見たいと思った女性の話をしている。今暮らしている部屋よりずっと広いリビングで、深夜にこうやってポツンとテレビを見ていたのはそんなに昔の話ではないけど、ノスタルジーを感じた。

 

そのコーナー中汗を流したくなり(本当は風呂上がりのビールを味わいたくて)、スマホを風呂場に持っていってシャワーを浴びながら見ることにした。どうせいつでもどこでも見られると思って特になにも考えず移動したのだが、湯船のふちに乗せたスマホに映る配信では、スポーツニュースが始まった。芸人たちのいるところで、アナウンサーがニュースを読み上げるなんて映像なかなか見られなくて楽しそうと期待していたら、その部分は権利NGで配信に映らなかった。タイミングの悪さを悔いたけれども、そんな時間がどこかで行われていてそれを見て楽しんでいる人の声がSNSで確認できて嬉しかった。

 

その後の芸人だらけの深夜パートが最高だった。このご時世男だらけで、乳首だチ◯コだのお笑いをやっているのもどうかと思ったがそれでも、表面上は対決したり罵りあったりしながら、本当はみんながひとつの方向を向いて自分の仕事をこなしていく連鎖がとても楽しかった。嫌に思う人もいるようなお笑いだけど、これを見たくない人がたまたま見てしまう時間ではないから、気にせず笑える。でも、この"ワチャワチャ"は、ここに女性が混ざったとして崩れるような脆い文化では決してないはずなので、来年は少し違うものが見たいと思う自分もいた。

 

相撲が始まったあたりでうとうとし出したので、布団に向かった。テレビを見ながら寝落ちしたときのこの、見たのか見てないのかはっきりとわからない記憶が残っている感じもとても好きである。

 

墓参りに行くからと、10時ごろに起こされた。深夜に帰ってきて誰にも会っていなかったので、1ヶ月半ぶりに会った家族にかけられた言葉は「おかえり」ではなく「おはよう」だった。

 

家に帰ってから祖父母も交えて昼食を食べるまでの間、100kmマラソンのゴールと、ハロプロFC枠で観覧に応募したけど外れた鬼レンチャン歌謡祭を見られた。マラソンはスタートも見ておらず途中経過もほとんど追っていなかったけれども、自分が今見ているのと同じ空の下繰り広げられる熱いレースの顛末を見守る時間はかけがえない体験だった。タレントが頑張ってる姿に胸を打たれたわけでもなく、ハリー杉山の努力が報われたのが喜ばしかったのでももちろんなく、ただ遠くまで広がるこの夏空の先に思いを馳せる豊かさで胸がいっぱいになった。そんでほいけんたももクロのコラボはただめっちゃ笑った。

 

みんなでいっしょにほっともっとの弁当を食べる間は、大谷の野球中継を見ていた。日曜ゴールデン帯とはいえ、一番組だけのスターがもてはやされてる姿を見て楽しむのはこの時間にふさわしくないと思ったから、何の不満もなかった。

 

2時ごろからフィナーレまで、リビングのテレビはずっと8チャンを受信していた。父が自分の部屋に行ったり母が風呂に出かけたりしたが、私はずっと目の前にいた。実家を出るまでに読み切りたいワンピースの最新刊をちょこちょこ読み進めながら、おやつをつまみながら、うとうとするときもありながら、冷房の効いた部屋でダラダラ日曜日らしい時間を過ごしていた。画面のなかでも、それを許してくれるような祭り気分が少し落ち着いたいとなみが行われていた。

 

サザエさんをリアルタイムで見たのも久しぶりだった。1週間の終わりと始まりの間にかならずやってくる、日常と言うには特別すぎて、非日常と呼べるほどワクワクもしないあの時間を久々に、なじみのリビングで過ごした。祭りの渦中にいても変わることのない日常を思い出させる、フネと波平のイチャイチャと大人になりたいタラちゃんの奮闘のようすは、どこかありがたかった。MCたち(とまたしてもほいけんた)がゲスト出演した3本目を見ていて、27時間テレビ自体がユルめの時間からこれから始まるゴールデンタイムの”祭り”に戻っていくのを感じた。

 

400mサバイバルレンチャンと芸人たちによる大繩レンチャンは、やはり深夜や昼とは違って他に見ている全国の人たちを感じるような盛り上がりを見せた。父と母とパエリアを食べていたダイニングでそれを見ていた時間は、日曜日夜以外のどの時間にも感じようがなかった。その後おなかいっぱいになって漫才の時間は少し眠くなってしまったけれども、最後まで見届けた。「時代はまわる」けれども、テレビはいつまでもこのままでいてほしい。結局最後まで男性ばかり出演していたことや、なにもやらかしていない人を罰することで笑うような横暴さがまだ消えていなかったりとか、変えるべきところはいくらでもある。時代の要請にこたえていろいろな試行錯誤をしていたテレビ業界。そのなかで、テレビがテレビであることはやめないでほしいと思う。YouTubeを真似していつでもどこでも見られるようにコンテンツ化するのではなくて、その時その時間に起こっている「事件」を共有するための装置としての役割を忘れないでいてほしい。ビジネスモデルとしての限界をいくら説かれようとも、いつまでも変わらずそういう需要はあるのだから、私がテレビを忘れないようにテレビもそういう私を忘れないでほしい。

 

『NewJeans Day On Air』はほとんど視聴していないし、『FNS27時間テレビ』も結局半分の時間しか見ていない。でも「生」のメディアは、その”見ていなかった時間”も意義がある。祭りは、私のためにあるものではないと思う。どこかでたしかに広がるハレの空間と時間の存在を、遠く離れた人が「受信」する。それはその場にいなくてもありえることだ。私と、久しぶりに会った家族と、お台場のお笑い芸人たちと、全世界のNewJeansファンとつながって、どこまでも広がる世界のなかのいつか終わる時間を過ごした週末。何も手に入れてないけれど大切な2日間だった。