あちらこちらで ~勝手に2本立て鑑賞日記~

映画館で、テレビで、美術館で……ところかまわずその週見たものたちをひとつの感想にこじつける

拍手を浴びる『BLUE GIANT』を見ながら考えた『浦安魚市場のこと』

※noteで書いていたの記事を移行したものです。

2023年4月24日から2023年4月30日

 

 ”拍手歓迎上映”に身構えていたけど、評判通り『BLUE GIANT』が上映されている劇場のなかで手を叩く人はなかった。空気を読みがちな日本人が、”映画館では静かにする”という身体に染みついた常識を壊すなんて考えにくいから当たり前だとは思う。だが、開催にいたる理由として挙げられていた「『拍手をしたくなった!』との声をいただ」くのもすごくわかる。迫力ある音響で浴びるJASSのグルーブには自然と体をのせたくなり、それぞれの演奏にいたるまでのドラマを踏まえると身体だけでなく心も震えた。アニメーションにしかできない自由な画面の使い方で、自分が映画をみていることを忘れるほど身体まるごとで音楽を体感した。しかし、拍手をしたくなる心の動きと実際にそれを行動に動かす体の動きとの間には大きな隔たりがある。

 拍手は”する”ものではなく”送る”ものだ。相手がいないときにするものではない。拍手を送ることはそういう関係を結ぶことで、相手と自分の相互作用だ。それが起こりうる場所のなかで二つ以上の身体があってやっと拍手の音は生まれてくることができるのだ。たとえ映画を観る人が拍手を送っても、登場人物にせよ作り手にせよそれを聞いてほしい人に届けることはできない。私たちがスクリーンの前で手を叩くにいたらなかったのはそういうわけなのではないか。

 スクリーンのこちら側では聞こえてこなかった拍手だが、スクリーンのなかではJASSの演奏を聴いた人たちが彼らに送るそれであふれていた。目の前で素晴らしいパフォーマンスが行われていれば賞賛を身体で表す”常識”がある人たちにとって当たり前のことであり、それを周りの人どうしで共有している空間にいるから生まれる空気によるものだ。スクリーンのこちら側で聴いているわたしたちも立体的な音響で没入してはいたが、抽象的な映像で脳内に音と映像が一緒に飛び込んでくる体験はいたって個人的なもので、隣の人といっしょに身体が動いてしまうに至ることは決してないだろう。

 『BLUE GIANT』が、身体に拍手を送らせるほどではない取るに足らない作品だったわけではなく、むしろ映像ならではの表現とドラマの運び方で拍手を送りたくなる心の動きをもたらすよい”映画”だった。

 拍手歓迎上映を見ながら少しよぎったのは、ちょうど前の日に見ていた映画のなかで起こっていた拍手のこと。かつての漁師町・浦安にある魚市場の日常とそれが閉鎖するまでにカメラを向けた『浦安魚市場のこと』はもちろん拍手歓迎での上映ではなかった。しかしその映画のなかには『BLUE GIANT』よろしくたくさん拍手が聞こえてきた。少し違う種類のような気がするのだが。

 作品全体を通して映し出される、魚市場の日常。市場で働いている人や近所から買い物にくる人の日常の中に魚を買って売ることが当たり前にあるようす。そしてそれがだんだんと当たり前ではなくなってくる世の中に抗う人のようす。システム化された社会においてなかなか見ることができない”人が人にものを売る”ところのあたたかさと、それを暮らしのなかで繰り返してきた人たちの軽やかな手つきとが魚に負けないほど活き活きと映像に描かれている。そういった生のくらしと人間関係をほどいていってしまうのが、市場閉場のしらせ。そこで日常を送ってきた人たちに、最後の日という非日常が訪れる。街に根ざした文化が引っこ抜かれていくときに生まれる大きなエネルギーが音をたてる。

 閉まっていくシャッターの後ろで頭を下げ続ける市場の人たちと見送る人々、作品のなかで中心的にカメラを向けられてきた森田釣竿さんと挨拶を聞くお客さん、その間に拍手はあった。どちらも、送ろうと決めていたわけではないが”せずにいられなかった”ような拍手であった。話し終わったり頭を下げ終わったりしたあとに生まれた隙間を周りの人が埋めようと音が生まれる。やはりここにあったのも拍手を送る人と向けられる人の関係。『BLUE GIANT』のそれも『浦安魚市場のこと』のそれも、一期一会のもの。JASSとは映画の外で会うことができないけれど、森田さんは市場の外に開いた新しいお店に行けば会える。私もそこに行って、彼に向けて拍手を送りたい。

 拍手に包まれるとき、それが自分に向けられたものでなかったとしても気持ちがいい。人が集まることが制限されてきたこの数年間私たちが遠ざかってきたその快感が『BLUE GIANT』によって呼び戻された。歓声がどよめく音楽フェスの映像を目にすることも多くなり、失っていたものが少しずつ戻ってくる流れを感じる。一方、浦安魚市場がなくなっていくように「活きた」人に会える場所がどんどん少なくなっていく大きな流れもある。世界はこれからどっちへ向かうのか。